2006年06月03日

国語が出来る出来ないとか?

国語の学力って?

よく国語が出来るとか出来ないとか言いますね。
でも、一般的には「出来るとか出来ないとか」とか、一言でくくれるようなことではありません。本を読むか読まないか一つをとっても、小説や詩が好きな人、科学的な話題の本を好む人など千差万別です。また、言葉をよく知っているといっても同じようなことが言えます。ですから、これはふだんはあまり気にかけないですむことかもしれません。

国語の成績を意識するのは?

ところが、学校でのテストや入学試験などでは、国語の学力を点数で評価します。いやでも、私はオレは何点と決められてしまい、自分の国語の学力はこうなんだなと意識してしまうんですね。

けれども、今は小学生のうちは、読み書きの能力としての国語力をあまり意識しないでいい時代になっているかもしれません。が、一般的な公立中学校の進学では、総合選抜の入学試験があります。ですから、中学3年生になって、内申書の評価点として意識する、そして、最後は、高校の総合選抜試験の本番テストで、過去問をやってみて、古典がわからない、漢字が書けない、詩が理解できない、どうしようというケースが多いのではないでしょうか。

私立中学受験となると

しかし、私立中学受験という目的で各科目を学習していると、いやでも国語の出来不出来を意識せざるを得なくなる場合があります。たとえば、小学4、5年生で、算数と理科はいいけど、国語が今ひとつだめだなぁ、なんて悩むわけです。

これは、塾内での本格的なテストによる順位付け、志望校合格に向けての模擬テストの結果がいやでも点数として評価されるからですね。そして、最後は志望校の入学試験の国語の問題にどれくらい点数が取れるかという大きな課題をつきつけられるわけです。

これはある意味でスポーツの世界と似ていると思います。スポーツでも趣味で楽しんでやるだけという場合と、試合で勝つために練習するというのは根本的にその基本姿勢が異なるのではないでしょうか。

受験というものは、良くも悪くも「勝ち負け=プロ」の世界です。それがいいか悪いかは別として。なぜなら、合格・不合格という二者択一しかないからですね。よく報道などで目にしますが、勝てば歓びをかみしめ、負ければ涙する、そういう世界なのです。きつい言葉になりますが、結果がすべてという、おままごとではない非情な世界なのかもしれません。

さらにきつい言い方になりますが、あまり勉強していなくて(本人は勉強しているつもりかもしれませんが、合格できるための勉強の質と量は個人差があります)合格圏内にない学校のテストに落ちた場合も同様です。
本人にとっては、受験というものが初めての体験で、親しい友人どうしで合格した者とそうでない者とがはっきり分かれるという現実にショックを受けるのだろうと思います。

国語の学力アップを考えよう

少し話がそれましたが、他の教科と同様、国語も点数で評価されるわけで、テストや入試などではその対策が必要です。ただ、その対策は、他の教科と同じようにはあつかえません。
短期間の勉強で劇的に成績が上がるということはありません。いちばん大切なのは、早めの手当が肝要ということでしょう。

どういう時期にどのようなことをやればいいのかを、これから考えていきたいと思います。

人気blogランキングへ 人気blogランキングへ
応援クリックよろしくお願いいたします
投稿者 寝太郎: 2006年06月03日 16:17

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:

コメント

コメントしてください




保存しますか?